日本の歴史をさかのぼると・・・その2
観念的に綱領草案はつくりあげられたものの、具体的な実践のプランは何もありませんでした。
もちろん当初から山川均などは、党が大衆のなかに入り、大衆運動と結びつくこと、そのためには少数精鋭分子の急進運動はさけなければならないことを主張していた(「無産階級運動の方向転換」『前衛』七・八号所載)が、それもなお具体性はもちえないでいた。
こうして形成された日共は、大正十二年六月の第一次共産党事件と大震災テロとによって壊滅的な打撃をうけました。
その後におこったのがいわゆる解党派の動きであり、堺・山川・猪俣らが、現在の情勢のもとでは共産党のような前衛政党を組織するのは時期尚早だから、合法政党をつくって最大限に労働者や農民のなかに組織をのばすべきだとして、共産党の解党を主張したのがそれでした。